自転車は悪のツールだった

大事だった(はずの)自転車

小学生の頃、自転車はオレにとって、だいたい命の次ぐらいに大切な存在だった。その割に、ちっとも大事にはしなかった。雨ざらしでサビッサビ、鍵をかけ忘れるわ、たまにかければ鍵をなくすわ、倒れてもまるっきり気にしないわ、むしろ倒して転がして笑って喜び、手入れなんてまるでせずにたまにしぶしぶタイヤに空気を入れるといった手荒い扱いっぷりで、書いていて本当に自転車が命の次に大切だったのかどうか疑わしくなってくるな……。
それでも「大切にしていた」と言い切るのは、移動手段がそれしかなかったからである。逆に言えば、自転車さえあれば、どこにでも行った。オレは当時練馬に住んでいたが、池袋までは軽く自転車の範囲だった。ひとりペダルを回しながら、果てしなく遠く感じた池袋。でも電車代は惜しかった。何度も道に迷って心細い思いをしながらも、やがてルートが確定し、安定して通えるようになった。

いきものバンザイ

池袋に行く目的は、ただひとつ。西武百貨店屋上のペットショップで小動物や小鳥や金魚を眺めることだった。なんといじらしい目的であることか。それ以外に何か悪さをした覚えはまったくないのだ。途中、江古田の金魚屋で「らんちゅう(という名称の高級金魚がいるのだ)」の美しさにあっけに取られたり、東長崎の釣具屋で高くて買えないルアーやリールを眺めてはため息をついたり、といった寄り道はしていたが、何にしても生き物関連だというところが信じがたいほど健全である。
それにしても池袋は遠く、行って小動物を眺めて帰ってくるとほとんど1日がつぶれていた記憶がある。本当はどうだったのだろうか。当時のルートをインターネット上の地図で距離計測してみる。むむー!? やややー!? なんと練馬〜池袋はわずか7km程度ではないか!
……そ、そんなに近かったのか!?
うーむ、平均15km/hだとしても、30分かからない計算だ。当時のオレは、今もそうだが、「乗り物=スピード追求型」であるから、そんなにちんたら走っていた記憶はない。だとすれば、往復1時間の池袋ツーリングでほぼ1日費やすとは、いかなることか……。小学生のオレは何に時間をつぶしていたのか……。

ゲーセン三昧

あ。
やっべ。
思い出してきた。
ゲーセンだ。ゲームセンターだ。練馬のゲーセンでギャラガに興じ、桜台のゲーセンでコインゲーム、江古田のゲーセンではポールポジションのハンドルをグリングリン回し、東長崎のゲーセンでは平安京エイリアンの台上に50円玉を積み上げ……。西武池袋線の各駅前のゲーセンに「各駅停車」していたから、途方もなく時間がかかったんだった。
ああそういえば、電車賃を惜しんでいたのは、ただひたすらゲームに充てたかったからだ。全然健全じゃねぇじゃん。むしろ全力で不健全だ……。オレが小学生の頃は、今のように「18時を過ぎたら保護者同伴でも立ち入り禁止」といった窮屈な時代ではなかったので、時間を気にせずのびのびとゲーセンに入り浸り、コイン返却口を指先で探ったりゲーム機の下に這いつくばったりしながら10円でもコイン1枚でもいいから確保しようとしたり、不健全に邁進していたのである。

イニシエーションとしての自転車

すなわち自転車は悪のツールであって、今のように健全なスポーツギアではなかった。……少なくともオレにとっては。……いや、多くの小学生男子にとって、そうであったはずである。
だからこそ、自転車はだいたい命の次ぐらいに大切だったのだ。ちょっと悪いことをする時は、常にそこに自転車があった。今になって思い返せば、ささやかで、かわいい、いたずら程度のことだ。もちろん当時は分からなかったけれど、親や、学校や、地域社会や、そういういろんなことから自分を引き剥がして、独立するための儀式のようなものだったのだ。

ささやかな不健全

……そうかな? そんな立派なモンか? ただひたすら誰の目も気にせずゲームしまくりたかっただけじゃねぇの? ああいろいろ思い出してきた。そういえば近所のゲーセンはあまりにも小学生軍団が入り浸って保護者チェックが入ったり学校でそれなりに問題になりかけたりして、「やべぇやべぇこりゃやべぇ」とリスク分散のためにあっちゃこっちゃのゲーセンに行くようになっただけのことじゃねぇか? その足に、ビタ一文かからない自転車がベストだったと。
なにが生き物だ。なにが「らんちゅう」だ。なにがルアーだ。
ああでも、しかし。自転車を強力な相棒として、ささやかな不健全さの中で育っていくことこそが、男の子にとっては健全なプロセスなのである……。

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